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⻄遊記 オーストラリアへワーホリした噺 8 ヶ月間のサバイバル体験

2007 年の 11 月初め

 

成田空港から、

オーストラリア・ケアンズ空港へ渡航しました。

 

ここから約 8 ヶ月間の、

ワーキングホリデーの日々が始まることになります。

 

ケアンズ空港におりたって、まずは宿を探しました。

 

ケアンズは街も小さく、宿が密集し ているので、

すぐに寝床となるホステルはみつかりました。

 

これから相部屋の部屋を、泊まり歩きながら、

どこかで腰を落ち着けて、シゴトをしたいなと思い、

早速行動に移しました。

 

下手クソな英語をなんとか駆使して、

プリペイド携帯を購入したり、街を散策して、

 

そこで働く日本人と出会ったりと。

 

諸々情報を手探りで探していると、

 

どうやら近くの農業地帯に行けば、

 

そこにある宿から、

シゴトが紹介してもらえるとの情報を入手しました。

 

早速、バスで約 3 時間ほどの、タリー という、小さな村にたどり着きました。

 

宿に着くと、すぐにシゴトを紹介するから、

 

近くの銀行に行って口座を作ってくれ、

日用品店で、作業着や⻑靴を買ってきてくれと

指示を受けました。

 

オーストラリアに渡って、

わずか 5 日目にして、

みんなでバナナを獲るという作業がスタートします笑

 

朝五時に起きて支度をして、近くの集合場所まで向かい、

その村からバナナ農場まで、皆で相乗りのバンに乗って向かいます。

 

ベースとなる作業場に到着すると、

そこからさらに農場地帯へと、車を走らせます。

 

見えた光景は、商品となるバナナが、

数キロ先まで一面になっている壮大なファームでした。

 

作業はというと、

ナタを振るってバナナを房ごと切り落とす人と、

それを肩で受け止めて、

トレーラーまで運ぶ荷役で成り立っています。

 

基本ワーホリできたニンゲンは、

朝 から夕方まで荷役をすることになります。

 

60 キロもあるバナナの房を肩で受け止めて、

バランスを取って運ぶわけですが、地面は泥でぬかるんだりしていま す。

 

バランスを失うと、重いバナナの房を地面に落としてしまいます。

最初の 3 日間は足ガクガクで、本当泣きそうになりました笑

 

でもニンゲン何とか慣れ てくるもんで、

2、3 週間目にはバナナを地面に落とすこともなく、

なんとか運べている自分がいました。

 

室内でバナナを、消毒水に浸して、

ひたすらパッキング していく作業にも従事したりしました。

 

農業に関して言うと、

とりあえずシドニーまで下っていく旅費を、ここで賄おうと考えていたのです。

 

ですから、僕は 1 ヶ月で切り上げました。

 

多くのワーホリの皆さん は、

基本 3 ヶ月間を、一区切りとして、この国のどこかで農業をしています

 

2007 年当時のルールですと、

国指定の産業に 3 ヶ月従事すると、

ワーホリを 1 年間延⻑できる権利をもらうことが出来ました。

 

その国で生まれ育った人にとっては、

やりたくもないシゴトなんでしょうけど、

 

ワーホリで来たニンゲンには、

旅費を賄うための良い手段であるわけです。

 

国をあげて、うまいこと、

この仕組みを作って、バランスをとっているわけですね。

 

タリーを後にした僕は、

安いバス会社のチケットを購入し、小さな村を転々としながら、旅をしていました。

 

南下していって、目的地のシドニーに着くと、そこは大都会です。

 

安くて汚い宿を寝床にして、

短期のアルバイトをしていましたが、

 

なんだか、都会の街の生活が、しっくり来ませんでした。

よって、旅を優先的に続けていこうと決めます。

 

まずはぐるっと、この国を一通り周ってみて、

一番気に入ったトコロで、腰を落ち着かせようと決めました。

 

結果的に、その場所は、

エア ーズロックにほど近い、

 

アリススプリングスになりました。

 

小さな村でしたが、

20 万人近くの観光客が訪れる、

 

旅行者のための、寝床のような場所になります。

 

そこでのシゴトは、ホテルで、ひたすらに掃除をしていました。

 

楽かと思って入ったら、とにかく死ぬほど忙しかった。

毎日、目が回るようなベッドメイクをこなしていました。

 

そこではワーホリの方々も含めて、

7、8 カ国の方々が集まって、一緒に作業をしていました。

 

体力的には辛かったけど、楽しかったなあ!

 

この期間に、お休みは週に 2 日もらえました。

 

お休みの午前中に、コーヒーをゆっくり飲みながら、

これからどういったルートで海外をまわろうか、じっと考えていました。

 

諸々試行錯誤してみましたが、中々良い案は浮かびません。

 

しかしある日、

ふと世界中の街を、ざーっとA4 の白紙の紙に書いて、

それらを線で結 んでみたんですね。

 

ああこれだと。

 

これから約 3 年かけて、

こういった泥臭い、地を這うような旅をやってやろうと、

 

ココロに決めました。

 

オーストラリアで過ごした 、

8 ヶ月の日々は、本当に濃い毎日でした。

 

英語も多少は覚えましたし。

 

バナナを担いだり、何十時間も電車やバスに乗ったり、

野宿をした り、料理を毎日つくったりと、

 

サバイバル体験のような時を過ごしました。

 

一旦日本に帰国して小休止をして、

 

船でロシアに渡り、

そこからシベリア鉄道に乗って、

ヨーロッパに向かう旅がはじまります!

 

ご一読頂き有り難う御座いました!

 

次回は、

⻄遊記 ヨーロッパをまわった噺

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