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ほったて工場で、父は億万長者

小学生時代の話の続きになりますが、

家業の鉄工所の話をします。

 

小学生当時、僕たち家族の住んでいた、

 

ほったて小屋みたいな家の真隣に、

これまたほったて小屋のような、工場が建っていました。

 

鉄工所の倅として生まれた僕は、

そこで10名ほどの従業員さんが、

 

せっせと毎日朝8時から5時まで働く日々を、

ランドセルを背負いながら、登下校中に毎日みておりました。

 

それから約20年後に、

このみっともないほったて小屋で、粉まみれになって働いていた時代が、

 

恐ろしいほど儲かっていたという、驚愕の事実を知ることになります笑

 

「となりの億万長者」という本をご存じでしょうか。

 

1970年代のアメリカで、

長者番付(納税公布)を元に、億万長者を探しだし、

 

彼らのライフスタイル、ワークスタイルや人となりに、焦点を当て、

そのインタビューをまとめた本になります。

 

調査員が調査を開始し、意外な事実に気がつくと言う、

トコロから、話は始まります。

 

たいていの億万長者は、

そもそも高級住宅街などには住んでおらず、

 

中小零細企業の自営業者であったという事実です。

 

たいていの億万長者は、

小さな工場やストア、サービス業などを経営し、

毎日せっせと仕事をしています。

 

自分をコントロールする強い精神力をもち、勤勉に働き、

収入よりはるかに低い支出で生活する、倹約家であったという事実。

 

調査員からしてみれば、あまり面白味のない、

事実が浮き上がることになるのです。

 

両親のほったて工場経営に関していっても、全く同じ事が言えるでしょう。

 

加えて当時の日本は、成長期のまっただ中で、

田舎町にも建設業者へのシゴトが、山ほどやってきていました。

 

工場なり倉庫なりガソリンスタンドなり店舗なりが、

鉄骨造でどんどん建っていく時代でした。

 

あのころの、中小零細の、

建築業者や製造業者は、皆、ウハウハだったろうね。

 

父の背景をざっと書くと、

 

地元の中学校を卒業後、

三重県四日市市にある、

工業高校の夜間部電気科で学ぶことになります。

 

昼間は工場で働き、夜は勉強、

その後柔道部で汗を流すという、

 

怒濤の日々を、4年間続けたそうです。

 

団塊世代における、典型的な苦学生を経験した後、

祖父と一緒に、鍛冶屋を始めることになります。

 

その20年後に、法人化し、

同時期に製造業も立ち上げました。

 

工場経営者として、30年間以上、

皆をひっぱっていくことになります。

 

そんな父との幼い頃の思い出はと言うと、

ほとんど家に居ないので、全くありません笑

 

ただ、

姉ちゃんや妹、おじいちゃんや、おばあちゃんが

家にはずっと居ましたし、

 

その当時の家の中は、

ほっこりするような、ザ・昭和な空間でした。

 

帰宅すると、おばあちゃんが番茶を煎る匂いが、

台所に充満していて、

 

隣の居間では、耳の遠いおじいちゃんが、

地蔵のように掘りゴタツに入って、大音量で相撲を観ている。

 

途中から風呂焚きが始まって、居間に煙が立ちこめる。

 

外では、お行儀の悪い雑種犬がワンワン吠えて、

真隣の鉄工場では、鉄骨を叩く音が、

カンカン鳴っているわけですから。

 

無音の空間で、独りぼっちの状況とは全く違います。

 

僕もしょっちゅう、学校から帰宅してから、

友達の家に遊びに行っていたので、忙しい身です笑。

 

中高校生の時に、

家族とじっくり話した思い出もほとんどありません笑 

 

その頃の自分は、部活ばっかりしていましたし、

家に帰って、飯食って、風呂入って、寝てるだけでしたから笑。

 

昔の記憶自体は、結構ある方ですが、

父含め、家族とは何のハナシをしたとか、本当に思い出せません笑

 

(高校時代に一番感謝している事は、

東京にある大学へ、オープンキャンパスに連れて行ってくれた事です。

これはまた別の機会に話します。)

 

そんなダブルほったて小屋から、

のし上がった億万長者家族の物語を、

 

ガキの頃から端から見ていた事が、大変貴重な経験でありました。

 

そして後に、自身も小規模事業者として、

開業したんだと思います。

 

そういった生い立ちは、僕を形成している、大きな要因なわけです。

 

ちなみに父の会社は、現在は工場も新設し、

昔では出来なかった、

 

大規模な建築工事を受注できる体制になり、

立派な建設会社になりました。

 

みなさんも、

 

ほったて小屋に住み込んで、

銀行で信用創造をして、

質素倹約をして、懸命に働き、

 

20年かけて、億万長者になりましょう笑 

 

そんな庶民としての夢を叶えた、

祖父母と両親の下に、生まれ、育ちました。

 

有り難い。そして誇らしい。

それが、この噺で言いたかったことです。

 

ご一読頂き有り難う御座いました!

 

次回は、

おじいちゃんは、インパール作戦からの、奇跡的な生還者だった噺

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