今回は、地球旅館という、
海外さん向けの⺠宿を、
拓く場所を探していた時代の、
噺をしたいと思います。
2014 年の秋頃より、
ラジオで⺠泊に関するニュースが、
毎日のように報道されるようになっていました。
宿泊施設の不足について、
法の整備に関すること、 諸々のトラブル等々。
その頃から海外さん向けの、
⺠宿開業について、再考し始めます。
⺠宿の経営については、
大学時代に真剣に考えたことがあったのです。
そ のため、大学4 年生の夏休み 1 ヶ月間を使って、
松江市のユースホステルで、研修をさせて頂きました。
実際の運営にお手伝いとして携わり、
宿の雰囲気や、運営者側 の気持ちを傍で感じていました。
当時そこで思った頃は、
2004年時点での、地方でのホステル経営となると、
独立独歩としての、独り立ちは結構厳しいな、と思いました。
さらに当時 21 歳だった 自分には、
もっともっとビジネスや旅を通して、
沢山経験を積んで、
自分が未だ知らない世界を、
知ってからやるべきなのでは、と思っていました。
変化があったのは、
2014 年の 7 月に大阪へ、小旅行をしたときのことです。
勿論、⻄成のホステルに泊まります笑
そこで、自分達がバックパッカーだった時代とは明らかに違う、
大きな変化を読み取ることになります。
降り立った⻄成エリアの駅前で、スーツケースをひいている、
数名の日本人女子の姿を目撃しました。
もうそれだけでぶったまげました笑
なぜココに泊まると笑
これは、単なる⻄成の飛躍に限ったことではないと。
一般層が、ゲストハウスに宿泊する流れが起き始めていました。
ひいては、ゲストハウス業界全体が、
一気に飛躍していく兆候を発見することになりました。
それから半年ほどかけて、
⻄日本中の目をつけたエリアへ、
2 泊 3 日の小旅行で回り、
街の様子を観察していました。
しかしながら、どの街もしっくりこなか ったんです。
需要と供給のバランスが良い方向に崩れていて、
開業の実現可能性が高く、
且つ、
自分も住んでみたいと思えるような場所は、
全く見つからなかったんです。
時は経ち、2015 年 8 月に、
広島市に出掛けた事をきっかけに、
このエリアでの開業を考え始めます。
個室に泊まろうと思いましたが、
空室が一部屋も見つかりませんでした。
そして、相部屋のホステルへ、泊まりに行くことになります。
その宿泊施設でのチェックインの際に、
フロントのスタッフさんが、仰った一言が、印象的でした。
「今、 広島は 60 日くらい空室が全くなくなるんですよね」
広島市内の、宿泊施設運営者の現場から上がってきた、
この一言がきっかけで、
このエリアでの物件を探すため、すぐに動き出しました。
そうか広島市があったかと、
地元の出雲市に帰って、改めて思いました。
出雲に居ると、都会と言えば、大阪か福岡のことをイメージします。
さらに私の地元は、
飛行場 が非常に近いエリアなので、東京も視野に入るわけです。
まさに出雲生まれの自分にとって、
広島市は、灯台もと暗し的なエリアであったわけです。
地元に帰ってから、
不動産サイトで、広島市エリアの物件を検索し、
わずか 2 週間で、宿泊業可能な古⺠家を、
引き当てる事が出来ました。
立地もさながら、本当に良いタイミングで、
良い物件にたどり着くことが出来たんです。
内見に伺って、実際に大家さんにもお会いして、
諸々お話をしました。
僕が、海外さん向けの旅館を開く場所を、
探していると説明すると、
其の大家さんはこう仰 いました。
「ココなら宮島と平和記念公園の、
ちょうど中間地点に当たる場所で、
外国人さんも路面電車で移動できるから、
いんじゃないかな。
物件に駐車場は 2 台ついているし、
日本の方も車で来て貰えるでしょう。
必要ならば、真隣の空き地も、
駐車場として借りることが出来るよ」
土地勘の全くなかった僕に諸々ご指導頂き、
開業のイメージが沸きました。
翌朝、泊まっていた、
平和公園近くの旅館を出て、
原爆ドームを観ながら、
涙が溢れ出たことを、
つい昨日のことのように覚えています。
これから自分自身の時間を、
懸けてやっていく、
生活シゴトの土台となる、
エリアと物件が、やっと見つかったと。
嬉しかったなあ。
すぐに契約を済ませて、
おかんから借りた軽自動車を、
3 往復して、
大急ぎで引っ越しを済ませました。
直ぐさま Airbnb に登録をして、
⺠宿の前進になる⺠泊施設が、
2015 年 10 月からスタートします。
ご一読頂き有り難う御座いました!
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