世界一周の旅を終えた僕は、
カバン一つで、
浅草のシェアハウスに、居を構えることにしました。
今回は、ここで一つ屋根の下、共に暮らした、
とっても個性的な、若者達との日々を綴っていこうと思います。
2012 年 5 月。
東京での居住先を、インターネットで見つけました。
浅草のとあるシェアハウスに居住するため、その物件へ向かいました。
その日は雨が降って いて、看板も出ていなく、
え?ここかな? といった感じで、
インターホンを鳴らすも、何も反応がなかったんです。
ただし、事前に見ていた内外装からして、
明ら かにこの物件に間違いは無いわけです。
恐る恐る入ってみると、
いかにもシェアハウスといった、アートが壁に描かれていました。
とりあえず、ここのキッチンで待つことにしました。
待つこと 30 分。
オーナーがバイクで物件に来られて、
賃貸借契約を結び、
晴れて個室に住み始めることになります。
とはいうものの、最初の三ヶ月は、
県外へ、住み込みで、短期のシゴトに行っていたので、
ほとんど物件には居ませんでした。
本格的に住み始めたのは 2012 年の 10 月頃からです。
個室で住んでいるのは僕だけで、
他の方は、ドミトリーと呼ばれる
相部屋の二段ベッドで過ごしていました。
女子も 3-4 人は住んでらっ しゃいました。
総勢約 20 人が、一つ屋根の下に住んでいるわけです。
バックパッカーをやっていた自分からすると、
同じ宿に 100 人で住んでいたときもありましたから、
最初から、普通に馴染んでいました。
しかし普通の人のカンカクでは、
本当にこういった場所に、住みたくないのかもしれませんね。
この物件での良い思い出はというと、
一緒に住んでいた若者達が、
野心を抱き上京してきた、とても個性的な面々だったのです。
高校中退して、浅草で人力車 を引っ張る男だったり、
プロレスラーを目指して道場へ入門する男だったり、
後にお笑いの世界に挑戦する男だったりと。
今では有名になった、冒険家の方も、
少 しの期間ですが、いらっしゃいました。
彼らの持っている、純粋に、
自分の道を切り開こうとしている様子は、
30 前になった自分に、とっても勇気が貰えまし た。
若いってまだ何も知らないけれど、
何も知らないが故に、思い切って、それぞれ挑戦している。
こうやってコトバにする時点で、
もうだいぶオッサンになっ たんだなと、
その時に思ったりしました笑
但し、あまり良いとは言えない生き方をしている、
変なのも住んでいるわけです。
40 過ぎて、コンビニてのバイトをサボる、オッサンだったり、
全く働く気のないニ ートだったりと、
ここには、現代社会の光と闇が共存していました。
ひときわ覚えている、闇の人間とのエピソードがあります。
そのニンゲンと少しばかり話をした時に、
何かまがまがしいモノを感じたんです。
それ以降、その人間には近づかないようにしていたんです。
後に、とあることがきっかけで、
そいつが犯罪者の一味であったという事が分かり、
ああ俺の直感は当たったなと、思 ったりしたもんです。
まさに玉石混淆の、
お江戶の下衆都ハウスといったトコロでしょうか。
浅草に住んでみて思ったことは、
本当にバランスの良いトコロでした。
交通も便利で、食料品等が案外安く手に入ります。
周りには銭湯がいくつもあ って、本当に生活がしやすかったです。
そして、浅草寺は、毎日、観光客で賑わっています。
特に、夜のライトアップされた浅草寺にいって、
其の周りで、スーパー で買ってきた、
鮨をつまみながら、ビールを飲んでいました。
隅田川から、颯爽と風が吹き抜けて、
夏でも不快な気分になりませんでしたね。
いつかお江戶に住む機会があれば、
間違いなく浅草を選ぶことでしょう。
そんなこんなで、
色んな事があったシェアハウスでしたが、
1 年半、お世話になりました。
有り難う御座います!
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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