ロシアでの、建築現場を終えた僕は、
東京銀座で、某ホテルの内装工事に入っていました。
しかし、東京の現場に入って、3ヶ月後ぐらいから、
なんだかとっても気が落ち込んでしまいます。
建築現場は、
あくまで海外で働く機会だったため、
もの凄い価値があったものの、
お江戸でやるのはちょっと違うぞと。
2006年の年末に実家に帰り、
しっかり心を整理整頓することが出来ました。
そして、この会社から離れる決意を致しました。
そして、再び歩合の営業マンとして、
一時を過ごしてから、再び海外に渡航しようと決めました。
決めた会社はというと、不動産の営業会社でした。
面接で即日採用になり、
お部屋探しの営業マンとして、都内の店舗に勤務になりました。
初めて、その会社に入って見えた光景はというと、
目の据わった店長が、
くたくたの柄の悪いシャツを着て、寝ぼけ眼で、
パソコンをカタカタ打って、
若干愚痴のようなことを言っている。
やっぱこういうトコロ、自分好きなんだなと思いつつ笑
早速研修がスタートしました。
研修期間は1ヶ月。
お客様の部屋案内をするため、内見に向かったり、
店内ではお客様の受付を担当して、
場をつなぐところからスタートです。
1ヶ月後から、いよいよ営業マンとして、独り立ちをしました。
最初はめちゃめちゃ緊張しましたね。
全く面識のない、初対面のお客様との、心理的距離を測りながら、
部屋探しの仕事人として、徐々にハナシを進めていきます。
相手の求める物件の間取り、立地、価格、
これが三位一体になった部屋を、一緒に割り出していく、
コンサルティングのようなシゴトだと思いましたね。
シゴトには案外サクッと慣れることが出来て、
全社員120人中30-40番くらいにはなりましたが、
やはり、そこでも怪物級のニンゲンが生息しています笑
この会社は、ほとんど誰も、大学出はいませんでしたが、
この世界では、ほとんど関係はありません。
そこで出逢った、仕事が出来る方々は、
直感が凄く発達した方々だったんです。
ものの一瞬で、圧倒的にお客をファンにさせて、
そのノリで一気に契約まで持って行く。
そんな人たちが圧倒的な結果を出していました。
いきなりタメ口きくというのが許されるという、
不思議な世界です笑
むしろ、そちらの方がよっぽど結果が出てしまうというか。
まあ半分ホストみたいなもんですね笑
彼らはそこで、圧倒的な結果を残して、
その後、それぞれのスタイルで、それぞれやっているみたいですね。
しかしながら、この業界の闇を、早速知ることになります。
人によっては紹介料の多い物件しか紹介しなかったり。
そして当たり前のように、おとり広告を打って、
お店にノコノコやってきた客に対して、
どうのこうのと理由を付けて、違う物件探しましょうと、話を進めていく。
不動産屋が千に三つしか本当のことを言わない、
いわゆるセンミツと言われる様なことを実際に行っていたんです。
最初は、あーこんなことやるんだと、
半ば人ごとのようにそれを受け入れて、
僕もありもしない物件に、理由を付けて消したりしたもんです。
ニンゲンとは怖いもので、
3ヶ月もすると、それが全く何とも感じられなくなるというか。
まあ実際は、
その問い合わせた物件で決める気はない人が、半分以上なんで、
ウソも方便とは、まさにこの事でしょうか。
「とりあえずこんなイメージの物件で」
をきっかけに、お店に来て頂かないことにはハナシは進まないわけです。
そんな日々を過ごすことに、こなれた自分がいましたけれど、
週に一度の休日の日に、独りで冷静になって、
これからのことを、色々考えていました。
そして出した結論は、
やっぱりこの世界に長居するのはやめようと。
このままの日々が続いて、いつか結婚して、子供が出来て、
その子供がまだ小さいウチは、その子にはよくわかんないだろうけど、
中学生くらいになって、なんとなくその子が、
自分の稼業を察したときの事を、イメージしてみたんです。
もうそれは、自分にとって、
諸々取り返しのつかないことになるだろうと。
そんなイメージが自分の心の中で、クリアに出来ました。
そもそも、そのまま国内に残るつもりもなかったですし。
海外で働きながら、生活をするスタイルに、
今年中になんとか持って行くと、決意をしました。
営業マンとして、エネルギーを毎日ぶつけて、
なんだかんだ楽しかった日々だったけれども、
早々に切り上げました。
そして年内中に、
オーストラリア渡航を目指すために、
青葉荘を解約して、
箱根のリゾートホテルにて、
住み込みで働くことに決めました。
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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