2020 年
お国から補助金を何百万と頂き、
全てのシゴトを休止しました。
久方ぶりにゆっくり過ごしておりました。
その時に、ヒロシマに降り立った
2015 年 の事から、
今までの出来事を、思い出して、振り返っていました。
この街で、何千何万の方々と出逢ってきました。
恐らく自分の人生の中で、一番濃い経験をさせて頂きました。
しかし、コロナで店が駄目になってしまい、
この街を離れようか、諸々考えていたんです。
それで出した結論は、
やはり巡り巡って選んだ、
ヒロシマに、改めて住みたいと思ったんです。
この街は、僕にとって、他に類を見ない、
奇跡的な街であるということを、考察してみたいと思います。
まずは、地球旅館の存在した、広島市の紹介をさせて頂きます。
人口は約 120 万人。
近隣には、呉市、廿日市市、東広島市があります。
合計 180 万人ほどの経済圏として、存在しています。
この街には、商業・工業・農業と、全ての産業が、
そこそこ大きなカタチで存在しています。
商業で言えば、
歓楽街のナガレカワと、宮島が大きな商業地です。
ナガレカワに関して言うと、
市内のビジネスの中心地に位置しています。
昔は、カープ球場が、
原爆ドームの直ぐ近くに隣接していました。
(現在、球場は、広島駅付近に移動しました)
野球を観て、そのまま、ナガレカワまで、
歩いて飲みに出掛ける街でも会ったんです。
その球場跡に、今後サッカー場が出来る予定です。
今度は、野球で無く サッカーを観た後に、
飲みに行く街として、生まれ変わるでしょう。
宮島は、
外国人が行きたい観光資源ランキング
2 位に君臨している場所になります。
2019 年には、地球上から、
500 万人近くが、この島に集まってきました。
ここでサービス業を営まれる方々の内情を、
多少ですが、存じ上げております。
ここでは公表しませんが、皆さん方、
それはそれは、多大なる恩恵を授かっているわけです。
工業で言えば、
広島駅の直ぐ近くに、マツダの本社があります。
戦後、工業の街として、大きく経済成⻑をしました。
他にも物作り系の業種は、山ほど在るん ですが、
彼らは単に、モノを生産しているだけではありません。
積極的に、全国に売り込みにいっている印象を受けます。
まさに、物売りの精神を持ち合わせた、職人さんの街なんです。
そして、農業が出来る広大な土地もあります。
彼らもまた、単なる生産だけで無く、
物売りの精神を持ってして、
全国の展示会などに出掛けていって、積極的に販路を広げていきます。
街があり、海があり、山があり、
温暖な瀬戶内の気候に恵まれ、
実質、中四国の中心となっている街です。
ヒロシマが日本の縮図といわれている所以も、
この 街に住んでみると、よく実感できます。
海外 100 都市、日本も 50 都市以上を巡ってきた、
僕から観ると、
本当に奇跡的としか言いようのないバランスで、
この街は成り立っています。
もう少し、都会になっても、田舎になっても、
このバランスは崩れてしまいます。
それによってヒロシマの方々の、
大らかで、挑戦をやめな いスタンスも、たぶん変わってくるわけです。
2015 年に、この街に降り立って、
自転車や徒歩で、ウロウロしていたとき、
本当この街は、どんな業種でも、
ゼロから立ち上げて、億万⻑者になれる、
そんな希望に溢れた街だなと思ったもんです。
しかも、小規模事業者で、十二分に達成できます。
最後に、ヒロシマの方々と話をすると、
必ずと言って良いほど、
「いいね!そのアイデア!」と言って頂きます。
島国の所謂、ムラ社会から逃げてきた僕は、
この言動にも、ぶったまげるわけです。
何がナーモンで!
他の多くのエリアは、必ず、いの一番、この発言です。
これが、ムラ社会の精神です。
こんな事を 散々言われてきた僕は、
そんな事を言ってきた方々や、
その方々が住んでらっしゃる世界から、
そっと離れていきました。
そして、ヒロシマに降り立って、
ここに生まれた方々、集まった方々と
「いいね!」を言い合って、ひっそり生きている、
今の僕があります。
これからも、こ の街で、
明るくポジティブに、大らかに、
挑戦をし続けて、生きていきたいと思います!
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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