2021 年 3 月。
生まれて初めて、本田宗一郎さんの本を読みました。
何かを得ようとして、
片っ端から本を選んでいた時に、
目にとまった本が、
本田技研工業の、創業者の方の本でした。
20 冊ほど買い込んで、一気に読みました。
それらの本を読んで、涙が溢れて、
とまらなかった噺をしたいと思います。
本田宗一郎 プロフィール
1906 年(明治 36 年)生まれ。静岡県浜松市出身。15 才で自動車修理工見習いとして上京。22 才で浜松に戻り、修理工として起業。29 才でピストンリングの製 作工場を経営。その後、戦争へ突入。終戦。38 才の時に「人間休業」と称して会社を売却し、1 年間休業。39 才で、本田技術研究所(本田技研工業)設立。43 才で藤沢桓夫とコンビを組み、巨大企業へと突き進んでいく。その後上場。52 才でスーパーカブを発明。自転車店を販売取次店として大成功を収める。60 才で 社⻑退任。
社員の方々からは、
「オヤジさん」の愛称で親しまれていたそうです。
恐縮ながら、ここでは、私もオヤジさんと呼ばせて頂きます。
オヤジさんは、子供の時から機械が大好きで、
機械いじりをして遊んでいたそうなんです。
15 才で丁稚奉公に東京に向かい、最初に任されたシゴトは子守。
子守中に、その会社の中にある本を、
片っ端から読んで、どんどん吸収していったそうです。
その後、浜松で修理工として起業し、
毎晩、芸者さんと、どんちゃん騒ぎに、出掛けていたそうです笑
そこでニンゲンを観たと。
オヤジさんは、とにかく一生懸命シゴトをして、
それから沢山遊んで、
色んなニンゲン模様を観なければ駄目だと、仰っています。
詳しくは
「本田宗一郎の人の心を買う術」
という本に、書いてあります。
1951 年に上場
1958 年にスーパーカブを発明、販売。
それが大成功を収めます。
スーパーカブという商品に関していうと、
自転車と単車の、
ちょうど中間としての乗り物を、創造したということです。
きっかけは、1956 年、
ヨーロッパの展示会に赴き、主婦が気軽にまたがれる、
ミニバイクに出逢ったそうなんです。
そして、それを創って、世の中に出すと決めたそうなんです。
オヤジさんは、終戦後、このタイミングで、欧州を見聞しているわけです。
そして、ここでも、商売は、
このシンプルな公式で、成り立っていると思います。
事業= 商品 *タイミング *販売システム
商品 = (単車と自転車の中間としての商品を)
タイミング = (1951 年に発売)
販売システム = (自転車屋さんを、販売網として拡げた)
オヤジさんが、会社を引退されるときに、
全社員 2 万人と会うために、工場という工場を、
国内に限らず、海外も、くまなくまわったそうなんです。
そこで、 全員と握手をするという、
何ともオヤジさんらしい、男気溢れる最期を迎えることになります。
作業着を着た社員達に対して、
「手を拭かなくても、いいんだ よ。」と。
油まみれの手を、そのまま握る。
それは決して建前なんかではなくて、
オヤジさんの心の底から放たれたコトバに、
社員は皆、泣いていたんだそうで す。
オヤジさんは
「真に頭のいい人はどんな人か?」との問いに、
「それは人に愛される人だ」と、単純明快に答えます。
オヤジさん曰く、
結局は、ウラオモテも無 い人に、人が集まり、
情報や技術がどんどん集まってくる。だから成功できるんだと。
ビジネスの世界には、
多重人格者のような奴等が、沢山はびこっています。
奴等は、誰についたら得をするのか、
状況に応じて判断して、人格を使い分けたりするわけです。
僕は、そんな下らない駆け引きからは、
いつ日か一線を引いて、今までひとり起業をして、頑張ってきました。
オヤジさんのコトバに、本当に感動しました。
僕も、ウラオモテのない、自然に人が集まってくる、
そんなニンゲンを自分なりに目指し、生きていきたいと思います!
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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