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アフリカ南米への旅 世界一周を終えて

あの東日本大震災が遭った2011年。

 

一旦旅に行くことは辞めて、

箱根の山中の宿泊施設で、粛々と働いていました。

 

そして2012年の1月。

 

みたび西成に乗り込んで、

そこから関西国際空港へ行き、

 

イギリス経由で、アフリカ南米を巡る、

最後の旅がはじまりました。

 

今回は20代で行った、旅の最終章を書きたいと思います。

 

まず、最後の旅の一発目に、

なぜイギリスを選んだのかというと、

 

治験バイトに行くためです笑 

 

日本では、許可の下りていない、

薬を投与して、テストをしてみるという、

 

何ともカラダを張った、アルバイトをしてみることにしました。

 

僕がエントリーしたものは、貼り薬の治験でした。

 

貼り薬なんて、そんなたいしたもんでもないだろうと、

鷹をくくっていましたが、酷い目に遭いました笑 

 

その薬には、消化器官がストップする副作用があって、

僕は見事にストップしてしまい、便秘に苦しむことになります。

 

それも、ただの便秘ではありません。

 

もうそれは立ってられなくなるほどの、痛さでしたから。

異常なレベルの痛みでした。

 

僕は、この治験バイトを早々に切り上げました。

 

ちなみに僕以外の、15名ほどの治験者の方々は、

大した副作用も無く、無事クリアしたみたいです。

 

そのアルバイトを切り上げて、

ロンドンからエジプトまでの、安いチケットを手配しました。

 

着いた先はダハブ近くの空港でした。

 

いかにもエジプトらしい、大らかな空気に包まれて、

アフリカの旅がスタートします。

 

今回の旅では、

陸路海路にこだわらず、空路を沢山使いました。

 

まだ、スーダンやエチオピアには、

ATMがない時代でしたから。

 

スリの被害に遭った場合は、

そこで旅が完全終了してしまいます。

 

ある程度、ショートカットする国を決めて、

この旅を完遂させようと決めます。

 

エジプト・カイロから飛行機でケニアまで向かい、

 

そこからは陸路で最南端の国、

南アフリカ共和国の都市、ケープタウンを目指すことにしました。

 

アフリカ道中でも、現地で、

面白い方々に沢山会いましたね。

 

エジプトでは、日本人旅行者相手に商売をしている、

エジプト人の社長と、2時間にわたって話をしました。

 

自分達でWEBサイトを創って、

個人旅行者向けに、

オーダーメイドで旅行を手配していました。

 

ニッチな旅行商品をつくって、通信販売を成功させていました。

 

タンザニアのユースホステルでは、

日本語を話すことができる現地の方に、街を案内して貰いました。

 

自然に商売の話になり、

日本から中古車の輸入をしている、

 

知り合いの社長のオフィスを訪ねたりして、

細かい事情を伺ったりしていました。

 

海外の方が、

日本をどう利用して商売をしているか、

垣間見ることが出来た時間でした。

 

タンザニアからは、割と孤独な旅が続きましたが、

アフリカの街は意外に綺麗で、物価もさほど高くなく、

湿度が低いため夜は涼しいという、快適な旅をすることができました。

 

アフリカの旅で、

最後に訪れた街・ケープタウンは、完全なヨーロッパの街並でした。

 

しかし、物価もきっちりヨーロッパだったので、

そこはなんとかして欲しかったです笑

 

アフリカ最後の街ケープタウンから、ドバイを経由して、

南米への旅がはじまります。

 

アルゼンチンのブエノスアイレスまで、やって来ました。

 

南米で最初に泊まった宿には、

財布をすられた方が2名もいらっしゃいました。

 

噂には聞いていたけれど、

これは気をつけなあかんなと思いました。

 

田舎のパラグアイなんかは、

割と平和な空気で安心できたモノの、

 

ブラジル・サンパウロは、夜の雰囲気が怖すぎて、

これは外に出歩けないと、初めて感じた街でした。

 

南米は、とにかく物価がかなり高く、

旅をするには、結構費用がかかると感じましたね。

 

飲食店は、日本以上に高かったですから、

安いパンやパスタを食べて、凌ぐように旅をしていました。

 

そして旅の最後に行った観光地、

ボリビアのウユニ塩湖では、

 

もう30年も、旅をしているという夫婦に出逢って、食事をしました。

 

旅の最後の最後に、この夫婦が、僕の目の前に現れるわけです。

2時間にわたって、彼らと色んな話をしました。

 

しかし彼らの話から、俗離れ感が圧倒的すぎて、

僕はついていけなくなったというか。

 

この時の体験で、ハッキリ僕は俗に戻る、と決意をしました。

 

日本までの帰りの飛行機に、乗っているときに思ったことは、

俗離れの時間が完全に終わったことと、

 

俗に入って、また新たな旅がはじまるという、ワクワク感でした。

 

青年時代の、この旅という期間を通して、

得られた経験値は、無限大ですね。

 

後に、海外の方向けに、

通信販売や旅館を創めることになりますが、

 

それも海外の人の気持ちを、

多少なりとも、くみ取れるようになって、

 

考えることができるようになっていたから、

成り立ったんだと思います。

 

海外を地べたから観てみる、

世界一周の旅は、ここで一旦、完結しました!

 

ご一読頂き有り難う御座いました!

 

次回は、

浅草下衆都ハウス 野心を抱き上京してきた下衆達の噺

です!

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