2010年、中国インド中東を、巡礼する旅を計画しました。
いくつもの宗教が生まれた、
いわゆる聖地と呼ばれる場所を、
この目で見てみたいと思ったのです。
中国では孔子が起こした儒教
インドでは釈迦が起こした仏教
そして同じくインドで、
ヒンズー教の聖地バラナシ
そこから中東へ向かい、
イスラエルのパレスチナ
(イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地)
へ向かうルートです。
今回は、その時に、出逢った方々との対話や、
現地で肌で感じた、事柄を、書いていこうと思います。
まずはいつもの通り、船で海外に向かいます。
境港から韓国 東海(トンへ)に渡り、
1年ぶりに、キムさんのゲストハウスに向かいました。
しかし、キムさんはいませんでした。
そして何だか散らかっていて汚い部屋になっていました。
キムさんはどこに居るかと聞いても、
忙しいから彼には会えないと1点張りの答え。
これはおかしいと思って、直接彼に電話をして、
今彼が住んでいる家に向かいました。
どうやら、宿を立ち上げたメンバーが、
内部分裂してしまった模様です。
ニンゲンは本当に些細なことで、
けんかをしたり、すれ違ったり、
お互いの利害関係の不一致で、
こうやって離れ離れになっていく。
そういったシーンを垣間見た瞬間でもありました。
たった1年で、離散してしまったニンゲン模様をみて、
ちょっと哀しい気持ちになりましたね。
そんなこんなで韓国を離れ、
中国チンタオまで、船で渡ります。
そこから、孔子が儒教を拓いた街
曲阜(クーフー)に向かいました。
儒教の発祥の地は、韓国でなく、
中国だったという事実も、知らなかった僕です。
ネットで調べた結果、
日本に儒教が渡来したのは、西暦500年頃です。
実は仏教よりも伝達が早いです。
日本はその頃から、儒学者の教えを基に、
国を統治するシステムを作っていきました。
孔子の生まれた街で、ユースホステルに泊まり、
そこで出逢ったドイツの若者と、旅の話をしました。
彼は、ドイツのめちゃめちゃ田舎から、
中国に旅行に来たそうなんです。
ああ西洋は、会社員になっても、
1ヶ月近くホリデーが貰える制度があるから、
羨ましいなと思った瞬間でもありました。
日本にはその制度はありません。
何気ない会話に見えますが、
大人になった日本人が旅を続けるには、
自分で起業するしか道がないと思った、
瞬間でもありました。
曲阜を離れて、中国の街から街を渡り歩いて、
成都までたどり着きました。
そこから飛行機で、ネパールに渡りました。
降り立った先では、
発展途上の国そのものの光景が広がっていました。
タクシーに乗っていると、
赤信号で停車中に、
新聞を買ってくれと、お願いしてくる
少女が僕の前に現れたり、
床屋に行くと、
小学生の位の年齢の子に頭を刈ってもらったりと。
日本とは明らかに違う、異国の空間を、ひた歩いていました。
そんなネパールから、バスでインドまで陸路で向かいました。
国境を越えると、いかにもインド人らしい、
人懐こいニンゲン達が、早速話しかけてきました。
インドでは、
ここから毎日100人近くに話しかけられることになります笑
釈迦が亡くなった街クシナガラ、
釈迦が悟りを開こうとした、
ブッダガヤの小さなほこらに、
灼熱の真夏の最中に入ってみたり。
そして、悟りを開いた、同じくブッダガヤの、
菩提樹の下に行った時の感動と言ったら、
桁違いでした。
世界100都市は、見聞して周りましたが、
恐らくここが、
最もパワーを貰える場所だろうと、確信しています。
霊感とか全くない自分ですが、
1時間ほど、全身から鳥肌がたちっぱなしの不思議な体験でした。
そこからヒンズーの聖地、バラナシに向かいました。
ここは人類が生まれて、60年くらいで時が止まっているような、
これまた不思議な時間空間でした。
日本語を路上で覚えた、
小学生の子達が、大勢話しかけてきました。
迷路のようになっている道を、彷徨うように歩いたりしました。
そして夜になると毎日、ガンジス川で礼拝が行われます。
それを現地の方や旅行者達で、何千人と一体となって観るわけです。
時が止まっているような街だったけれども、
何だか懐かしく、むしろこっちの生活の方が、
豊かなんじゃなのかとさえ思ったりしました。
強烈なインドでの体験を終え、
中東シリアからヨルダン、イスラエルのパレスチナまで渡りました。
そこでは、ユダヤ教の聖地や、
キリストが生まれたとされる教会まで行き、
今回の旅が区切りが着いたと思えました。
今回の道中で、出逢った方々と、
沢山の会話をして、
喜怒哀楽色んな思いに駆られて、
またひとつ、旅を経験して、
本当に良かったなと思えた瞬間でした。
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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