2016 年
⺠宿を開業して 1 年が経ち、年間の流れも把握する事が出来ました。
気を張っておく期間と、
ある程度、気を抜きながら、過ごす期間が分かってきました。
その時期に、やっぱりあいつは遊んでいると、
世間様から、散々言われましたので笑
今回は、それに反論したいと思います。
「地球旅館」を、
地球上の皆でシェアリングをすることで、
ありとあらゆる可能性が生まれてくる。
つまりは、「触媒」になりうる。
少なくとも、僕にとって、
一石五鳥になっているような、存在であると言い切れます。
1. 自分の住む場所がタダ半分になる
→生活費の捻出のために、毎週 50 時間近く、
労働に出掛ける必要がなくなる。
同時に、生活のコストを賄えることが出来る。
2. 小規模事業を維持していくコストが、タダ半分にある
事務所代、税理士費用や、車の維持コストなど、
事業の最低限の維持コストも、賄える事が出来る。
3. ネット物販の事務所も兼ねている
暇な時期や、昼間などは別の作業に充てて、
そこからの収入源をつくる基地にもなっている。
4. 海外さんと逢える。
日本人とは違う、いろんな考え方を、
いろんな角度から、聞くことが出来る。
考え方を、アップデートしていく手段のひとつになる。
5. 日本人のバックパッカーに会える。
バックパッカー同士、お互い一気に打ち解けて仲が良くなる。
それぞれの、背景や、主にシゴトの裏話を聞くことが出来る。
ここでも、考え方を、アップデートしていく
手段のひとつになる。お互い相乗効果が生まれる。
こうやって言語化してみると、
地球旅館は、
100 パーセント非合理の存在ではないということが分かりますね。
地球旅館は、
そこそこの合理の上に成り立っている、
趣味と実益を兼ねた「お遊び」なんです。
一見非合理に見えるような、遊んでいるようなモノでも、
しっかり合理=シゴトに結びついてくるんです。
何千時間の雑談から、商いを発想出来たり、
一緒に組んで、
何かを始めるような事にもなったりするかもしれません。
合理の追求も、もちろん大切ですが、
この非合理の追求こそ、現代人の忘れた、
必要なことなのではないかと、僕は思うわけです。
地球旅館の閉店後、
本田宗一郎さんの本を読んで、まさに其の事が書いてありました。
とにかく道楽をやれと。
遊びをしらんようじゃ、人の心を打つようなモ ノは出来ないと。
デザインは人の心を買うもんだから、
しっかり遊んだ奴じゃないと人の心が分からないと。
(ちなみに本田宗一郎さんの本を読んで、
涙が止まらなかった噺については、別でコラムを書きたいと思います!)
日本人社会に関して言うと、
カネ=合理ばっか求めすぎて、大分社会が歪んできたように思います。
地球旅館にいらっしゃるお客様は、欧米の方が半分以上なんです 。
我々とは、考え方が全く違います。
家族との食事の時間を大切にしたり、
少なくとも年に一度は、旅行の時間を設けて、一緒に過ごしたりと。
ドイツやオーストラリア の方々が、
当たり前にやっている日常を、先進国となった日本も、
しっかり導入するべきだと思います。
欧米社会のように、
非合理もしっかり追求することで、合理の追求も冴えますし、
本当の意味で豊かになれるんじゃないでしょうか。
少なくとも今現在、地球旅館という生き方は、
日本社会に対する、アンチテーゼで在りたいと、
そう思い続けております。
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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