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⻄遊記 ヨーロッパをまわった噺

オーストラリアからの帰国後

 

2 ヶ月はゆっくり過ごしていました。

 

ある種の緊張状態から解放され、凄い疲労感を感じていて、

少しお休みを頂こうと、実家でゆっくり過ごさせて頂いたんです。

 

オーストラリアの旅を通して、移動し続けていくことに、

どれだけのパワーを費やすか、肌カンカクで分かりましたから。

 

しかも、これから、

英語環境かで無いようなトコロに、向かっていくわけですから。

 

相当な負荷がかかってくるモノだと思っていました。

 

充電期間中は、中学校時代の友人と会っ たり、

なんやかんやしていたら、1 ヶ月くらいが経っていました。

 

高校生の時ぶりに、

実家周りでブラブラしておりました。

 

しかし、そろそろモードを切り替えて、

出発の準備をしなければと思い始めます。

 

もう自分も 25 歳なんだから、

旅をシゴトだと思って、

 

ストイックに旅を続けていか なくてはと思い、

徐々に行動に移し始めます。

 

まずは、ロシアビザの申請をしたり、

荷物の準備をしたりと、

 

移動の為の準備に入りました。

 

オーストラリアの旅を経験して、

絶対的に 必要なモノは、日本の食料だと言い切れます。

 

日本の調味料だったり、乾物だったり、粉類だったりを、

一通り買いそろえました。

 

旅先でも、ホステルのキッチンを使用して、

ほぼ毎日、料理が出来る素材を揃えました。

 

ちなみに一番大事なモノは、

 

ポカリスエットの粉。

これは、体液とほぼ同じ成分で出来ています。

 

ちょっと体調を崩して、

風邪っぽくなってきたときや、疲労感を感じたときに、

 

睡眠を取る前に、お湯で割って飲むと、

カラダがふっと軽くなります。

 

旅をすみかとしていた、

数ヶ月前のことを、思い出しながら、

 

いよいよ沢木耕太郎の作品・深夜特急で観た、

ヨーロッパの旅がはじまりました。

 

まずは、国内移動です。

 

出雲から大阪を経由して、

バスで富山・伏木港へ向かいました。

 

そこからロシア・極東ウラジオストックまで、

2 泊 3 日の船旅をしました。

 

船内には、 数組バックパッカーが居て、

諸々情報交換をしました

このルートを介して、ヨーロッパに向かう、

マニアックな旅人の方々です笑

 

ウラジオストック港に着くと、

その目の前が鉄道駅になっていました。

 

さっそく、モスクワ行きの寝台チケットを購入しました。

 

当時日本では購入できなかった、3 等寝台が 2 万円でしたから、

購入できたときにもの凄くワクワクしたことを憶えています。

 

ウラジオストックに、3 日間の滞在の後、

いよいよ 7 泊 8 日の寝台列車の旅がスタートしました。

 

鉄道内には、ロシアの方がほとんどで、

基本彼らには、全く英語が通じませんでした。

 

宇宙空間に居るような、不思議なカンカクを覚えましたね笑。

 

ただ 3 日もすると、その環境にもなんとか慣れてきて、

みんなで食事をしたり、トランプをしたりしていました。

 

コトバが通じないなりに、なるようにはなるんだと。

 

これからの旅で、何十回も迎える、

言語的な障壁を、乗り越えることが出来たんだと思います。

 

1 週間乗りっぱなしの、鉄道旅が終わり、

モスクワへと到着。

 

そこでは、ロシア労働時代に知り合っていた、

マーシャと再会しまし た。

 

ちょうど彼女の誕生日が、明後日だったので、

Hisaya も是非パーティーに来て下さいと誘って頂きました。

 

翌日、

マーシャの家で 15 人くらいで、大酒を呑みました笑

 

この日はあまりに も強烈だったので、

全地球見聞録に詳しく書こうと思っております笑

 

旅は粛々と続きます。

モスクワから北欧⻄欧の街を、3 泊 4 日のペースで巡ていました。

 

そしてポルトガルの港町リスボンまで、

空路を使わず、海路と陸路のみで、地を這ってたどり着きました。

 

そこで大⻄洋をこの目で観たときに、

感動して涙が出ました。

 

島根県出雲市斐川町から、⻄洋の先っぽまで、

ザックに乾物とポカリ 背負ってやってきたと笑

 

これからの人生、

たぶんなんとかなるもんだと思ったもんです。

 

これから、旅の記録を綴った、

全地球見聞録を執筆しようと思っています。

 

そこで描きたいことは、なんといっても、

 

旅の中で、

どういったニンゲン達に出逢って、どんな対話をして、

自分がそれを、どう感じたか。

 

そして、その後の自分の人生に、

どういった影響を及ぼしているか。

 

その辺りを、詳しく描写したいと思っております。

 

僕にとって、バックパッカー時代は、

その瞬間瞬間が、

学びの場そのものだったと。

 

これから旅をする方々に、届けたいと思います。

 

ご一読頂き有り難う御座いました!

 

次回は、

大阪⻄成を初めて見た噺 ドヤ街の住人達との対話

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