2004年5月の中頃
人生で初めてとなるバックパッカーとして
海外一人旅を、10日間ほど行いました。
大学時代に、少しでも海外に行っておいて、
本当に良かったと思っておりますので、
今回はその噺をしたいと思います。
そもそもなんでタイにしたのか、というと、
それはカオサンロードという街を、
観てみたかったんです。
日本一周をしていた時に、
沢木耕太郎の旅行記・深夜特急を、読んでいたんです。
その本の中で、バンコクにあるその通りが、
世界中のバックパッカーが集まる聖地と書かれていました。
いの一番、バックパッカーをするなら、
まずは沢木耕太郎が観た、その街の雰囲気を、
この目で確かめてみたいなと思ったんです。
そしてチケットの手配をネットで済ませ、
英語で書かれた旅行ガイドブック
ロンリープラネットを購入し、
成田空港からバンコクの空港へ、独りでやってきました。
空港から降り立った瞬間、
足の裏から大量の汗が出たことを覚えています。
もうここからは自分の頭で考えて、進んでいかなくてはいけない。
英語もほとんど出来ないまま、
何とか、カオサンロード方面に向かうバスに乗ることが出来、
初めてその街に降り立ちました。
予想通りのもの凄い雑多感が漂う、
混沌とした街並みでした。
カオサンには、宿の予約をしていないまま向かったのですが、
何とかなるだろうとは、思っていました。
やはりといった感じで、
何人も客引きがやってきて、宿を紹介したりするわけです。
しかし、紹介して頂いたような、
そこそこ良さげな、
シングルホテルに泊まるつもりは全くありません。
ドミトリー(相部屋)で、
エアコンもなくとも良いから、
とにかく安いところにとまろうと、
探して探して、
カオサンの奥深いところにある宿を見つけて、
そこに何日か泊まることに決めました。
そこから、いよいよ街の探検がスタートします。
カオサンロードには、
お土産や服、ご飯物を売る屋台が、
路上にひしめきあっています。
そして屋外にテーブルと椅子がびっしり置いてあって、
皆そこでお茶を飲んだり、ご飯を食べているんですが、
そこに座っている人々が、
ほとんどみんな目つき悪かったっすね笑
何か危ないオーラを感じて、
何だかんだトラブルに巻き込まれないようにと、
ある程度の、心理的距離を置きながら、接していました。
街をくまなく歩いていると、
そこにはヒッピー的な西洋人が沢山居ました。
ドレッド頭で、タイの衣装を身にまとった方々が、
屋台でタイ料理を食べながら、呑んでいました。
皆国を離れて、アジアでゆっくり休んでいるような、
そんな感じが見受けられました。
西洋も色々観てきた観点から、
彼らの気持ちを察すると、
もうとにかく現代社会に疲れていたんだと思います。
合理を追求する物質世界に、
限界を感じた西洋人達から、
ヒッピー文化は生まれました。
彼らは過去の世界に浸って、休みたかったんでしょう。
僕も大体そんな理由で、
アジアを選んだんだと、今となっては思います。
3日もすると、街の雰囲気も大分慣れて、
バンコクから海沿いのパタヤに小旅行をしたり、
そこからまたバンコクへ帰って、とある日本人宿に泊まりました。
そこで出逢った、
日本人のバックパッカーの先輩方と、海外旅のハナシをしたんです。
中国の奥地を、陸路で旅して、
タイまでたどり着いてきたおっちゃんや、
マレーシアを観てきた方がいらっしゃったんです。
ネット環境もほとんどなかった時代に、
なんとか陸路で、
地を這うように旅を続けていて、
本当凄いなと思っていました。
バックパッカーという切り口で、
少ない情報にアクセスしていき、
それを元にアクションを起こす。
本当、リテラシーの高い人たちだなと、思っていました。
彼らの経験談を聞くことが出来て、沢山学びました。
日本で諸々疲れていた自分は、
タイの雑多ながら、
ゆっくりとした時間を感じ、本当息を吹き返しました。
海外旅に行く絶対的な理由っていうのは、
色んな生き方を、この目で観ることに尽きると思います。
日本は特に、周りと一緒でないと、
駄目だといった雰囲気が凄く強い国なので、
ちょっとでも、
人と違う道に行ってしまうと、変な奴にみられるというか。
実は、そんな画一的な考え方を持つ、
国は、世界にほとんどないんですよ。
僕は学生中に、タイに行って、
周りを気にするような部分が、
良くも悪くも、ほとんどなくなってしまいました。
よって、
一般の大学生が向かうような、いわゆる普通の道には、
行かなくなったんだと思います。
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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