三ヶ月に及んだ、
ヨーロッパ見聞の旅を終えた僕は、
イスタンブールから、大阪・関⻄国際空港に降り立ちました。
このタイミングで、この旅で、
もうひとつどうしても 行ってみたい場所に、
初めて立ち寄ることになります。
それは大阪市⻄成区です。
僕が初めて観た、
2008 年当時の⻄成を思い出しながら、書いていこうと思い ます。
どうやら、大阪にとっても危なっかしい街があるらしい。
ニシナリ?
ほとんどその街の事について知りもしなかった僕は、
ネットで、軽くこの街を調べてみま した。
どうやらニシナリとは、日雇い労働者が多く住んでいるドヤ街らしい。
ドヤとはヤドを逆さに言ったコトバで、
ドヤ街とは簡易宿所がひしめき合う、街の通称らしい。
旅の最期に、其の場所に滞在して、探検をすることに決めました。
関空から電車を乗り継いで、降り立ったのは動物園前という駅。
駅前には宿がひし めき合い、大阪らしい街並みが広がっています。
早速宿を探して何軒かまわってみました。
当時で個室が、一泊 1500-2000 円の料金でした。
ちょっと狭いですが、3 畳一間の個室に、この料金で宿泊できま す。
1 階には大浴場があり、風呂トイレは共有です。
僕が初めて泊まった⻄成の簡易宿所は、
日当たりも風通しも良く、部屋も廊下も清潔だったので、ココに決 めました。
部屋に荷物を下ろして、疲れたカラダを休めるため、早速浴場に行きました。
扉を開けると、そこにはおっちゃんがひとり居て、
カラダを洗ってらっしゃいま した。
僕がカラダを洗いだして、数分後、
おっちゃんは僕を見るなり一言、
「…兄ちゃん。…この街は⻑いん?」と、
何故か、怯えながら聞いてきました。
僕が「い や、今日来たばっかりなんですが」と返すと、
そのおっちゃんはもう一言
「…兄ちゃん。…もう破産やわ」と、
嘆きのオーラ全開で、僕に訴えてきました。
この街 に漂う悲壮感が、街を未だ見ずして、
早速風呂場で体験してしまうというワンシーンでした。
これは三ヶ月のヨーロッパ旅行に匹敵するくらいの、
凄いモノを観ることになりそうだと、この時に思いましたね。
それから、とりあえず街をブラブラ歩いて、
良さげなご飯屋さんを探し歩いていました。
半分屋外でやっているホルモン焼き屋さんや、
外でテーブルが置いてある、
いかにもこの街らしい、ご飯屋さんが並んでいます。
とある定食屋さんの、外のテーブルに座って、ご飯を食べることにしました。
すると、ギターを持っ た、目つきの悪い、⻨わら帽子をかぶったオッサンが、
僕に近づいてきて、唄を唄わせてくれとお願いしてきました。
これもこの街で起こるひとつのイベントだと 認識して、
早速お願いして唄ってもらいました。
ここでも悲壮感の漂う下手くそな唄が、約 10 分続き、
オッサンが最期に一言。
応援してくれって、カネくれっていうんです笑
コイツはいい年こいて、何をやっとるんだと思いましたが
500 円あげました笑
これも⻄成劇場のワンシーンということで、良い思い出にな っています。
ご飯屋さんの広がる通りの、奥に歩いて行くと、
おびただしい数ほどカラオケスナックがあります。
更にその奥に行くと、遊郭・飛田新地があります。
初めて、その情景を歩いて観た時は、ぶったまげました笑
本当に心臓に悪いです笑
江戶時代さながらの遊郭が、ほぼそのまま残っている訳ですから。
あれだけ大きな遊郭は、世界にはそうありません。
アムステルダムの赤線と、ほぼ同じレベルのスケールですね。
これも町人文化の発達した、大阪という街の一つの
カルチャーとして、受け止めることにしました。
⻄成に 3 日間滞在して歩き倒した結果、
あの街がやみつきになってしまいました笑
昭和 40 年代で、時が止まっているような街です。
しかしあの雑多な、懐かしい、
色濃い街が、なぜかまた行きたくなるんです。
バックパッカー時代に、海外旅をする度に、
行き帰りの地点として、
⻄成に泊まり込んで、飲み食いしていました。
海外に行かなくとも、是非⻄成を目指して旅をして下さい!
目ん玉飛び出る旅になることは保証しますから。
是非出掛けてみて下さいね!
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
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